平泉の観光は名所が比較的移動可能な範囲にあり、観光のアクセスが良好です。
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【中尊寺】
中尊寺は嘉祥3年(850年)に慈覚大師円仁によって開山されたと伝えられ、奥州藤原氏の初代清衡が、長治2年(1105年)に造営に着手しました。
国宝の金色堂は、天治元年(1124年)に完成。七宝珠玉が贅沢に使われており、須弥壇の中には初代清衡、二代基衡、三代秀衡のご遺体と四代泰衡の首級が納められています。
入口から続く坂道は、中尊寺の表参道で月見坂と呼びます。坂の両脇には、樹齢400年程の杉の並木道が続き、杉の仄かな香りが辺り一面に漂っています。本堂まで560m、金色堂まで800mとなかなかの距離と勾配があり、年配の方や足腰の弱い方には非常に厳しい坂道です。
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【達谷窟毘沙門堂】(たっこくのいわや びしゃもんどう)〜岩面に掘られた大佛が印象的〜
達谷窟毘沙門堂は征夷大将軍・坂上田村麻呂の建立,田村信仰の象徴とされ、焼失・再建を繰り返して今日に至っています。
連続する主塗の鳥居をくぐると、切り立った崖の一部を屋根の一部のように配置し、京の清水寺舞台を模した太い柱組の上に建立された毘沙門堂が現れます。
また、平安時代造像の丈六不動明王像や高さ10数mほどの高さの岩面に彫られた「岩面大佛」(磨崖仏)も必見です。
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【無量光院跡】(むりょうこういんあと)〜平等院鳳凰堂を模した極楽浄土〜
無量光院は三代秀衡が、宇治平等院の鳳凰堂を模して建立した寺院です。
いまは庭園のみの景色となっていますが、現存するならば、建物の中心は西側に位置する金鶏山に重なり、夕日の沈む日には幻想的な寺院と極楽浄土のような景色が目の前に浮かび上がるかのようです。
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【毛越寺】(もうつうじ)
中尊寺と同じ嘉祥3年(850)、慈覚大師円仁によって開山され、その後、藤原氏二代基衡が造営し、三代秀衡の時に完成しました。しかし、相次ぐ火災により、当時の建物は残っておらず、現存する常行堂も江戸中期のものです。
大泉が池も発掘調査に基づいて整備されたものですが、この浄土庭園は、平安時代の庭園造り秘伝書『作庭記』に忠実に造られたもので、特別名勝にも指定されておりますが、まさにこの世の極楽浄土といえます。
また、毛越寺は春の藤原まつりがあまりにも有名です。毎年5月1日から5日まで開催され、奥州藤原氏の栄華をしのびさまざまな行事が行われますが、なかでも有名なのは、3日に行われる「源義経公東下り行列」。
義経が兄頼朝から逃れてやっとの思いで平泉にたどり着いた時、藤原秀衡は温かく迎え入れ、民衆もまた歓喜して迎えたという情景を再現しています。
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【高館義経堂】(たかだちぎけいどう)
義経堂(ぎけいどう)は義経が源頼朝に追われ、藤原秀衡を頼って平泉に逃れ、文治5年(1189年)、最期を遂げた居館のあった場所で、藤原氏4代・泰衡に襲われ、妻子とともに自害し、そこに小さな祠(義経堂)が建てられたと言われています。
高館の眼下には美しい曲線の北上川と秀峰・束稲山を望む美しい景色が広がります。この束稲山では毎年8月お盆に藤原四代公や義経主従の追善、太平洋戦争の亡くなられた方など、先祖代々の精霊供養のために大文字焼きが行われます。
今この地に立つと、壮絶な最期を想像するにはあまりにも美しすぎる、壮大な風景が深く目に焼き付きます。
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【厳美渓】(げんびけい)
栗駒山の噴火によって堆積した岩が、長い年月をかけて水流に削られて形成された自然の彫刻ともいえる造形美で国の名勝天然記念物に指定されています。
奇岩、怪岩、深淵、甌穴に滝、またそれら渓流を彩る四季折々の景色が約2キロメートルにわたって続きます。
荒々しい流れが岩にぶつかりあう豪快な水しぶきの上流とゆったりとした深淵が見られる下流など、変化に富んだ景観が楽しめます。もうひとつの演出は、岩場の対岸からワイヤーを伝ってカゴで飛んでくる厳美渓名物の『だんご』、また近隣にガラスパークがあり、世界のガラス細工は見ごたえ十分です。
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【猊鼻渓】(げいびけい)〜げいび追分が渓谷に響き渡り、旅情を高める〜
猊鼻渓は、岩手県の中心を穏やかに流れる北上川の支流、砂鉄川沿いにある高さ50mを超える石灰岩の岸壁が2kmにわたって続く渓谷で、大正14年10月8日、国の史蹟名勝天然記念物に、また名勝指定県内第一号にも指定されるとともに、日本百景のひとつに数えられています。
新緑と紅葉シーズン限定での『茶席舟』は優雅な舟上茶会を楽しめ、冬季の12月〜2月の『こたつ舟』は雪を眺めながら鍋や釜飯をいただくことができます。
舟頭さんの“語り”も旅の想い出のひとつ。流ちょうな話に笑い、癒され、そして舟下りのクライマックスで唄われる[げいび追分]は、そそりたつ岩肌に響き渡り、旅情をより一層高めてくれる、まさに猊鼻渓の醍醐味です。